セダンが売れなくなった理由

最近トヨタがマークXの生産販売を取りやめるとの記事が出ました。マークXと言えばクラウンと並んで50代の親父には憧れの車であり、「いつかはクラウン」までたどり着けなくても「何とかリタイアまでにマークXまでは」と頑張った人も多かったはずです。
また昭和の時代には竹ヤリマフラーのマークIIに全財産をつぎ込んだ若者も多くいました。
今回はそんな庶民の憧れだったはずのセダンが何故売れなくなったのか考えて見たいと思います。
まず、考えられることは車種を選ぶ際の最終決定権者がお父さんではなくなったことです。
昔は車はお父さんのものであって、家族は休日それに乗せてもらうものでしたが、今は家族のものになってしまってお父さんは単なる運転手、もっと言えばお母さんも運転するのでお父さんの権威は地に落ちました。
運転手であったお父さんにとって快適だったセダンは家族に敬遠されて、後部座席の居住空間の広いワンボックスにとって変わられてしまったのではないでしょうか?

次に考えられることは技術の進歩でボディ剛性が上がったので、セダンでなくとも充分ハードドライブに耐えうる車が出てきたことです。
かつてはセダンもしくは今や国産車では絶滅危惧種となりつつあるクーペでないと、ボディがフニャフニャでとても男性のハードドライブには耐えられる代物ではありませんでした。

しかし最近ではステーションワゴンでも充分な剛性を出す車種もあるので、どうせ5人乗りなら沢山荷物が乗る上に、室内空間も広いステーションワゴンにしよう、と考える人が増えているのではないでしょうか?
第三に考えられる理由は軽自動車の進歩ではないでしょうか?最近ではリッターカーと性能も値段もほとんど変わらなくなった軽自動車ですが、ここからステップアップするなら室内空間がそれほど変わらないセダンよりも7人乗れるワンボックスにしようと考える人が増えているのではないでしょうか?
第四の理由は女性の運転比率が増えたことです。パワーステアリングの普及で女性でも大きなワンボックスを扱えるようになりましたが、周りの女性に聞くと目線が低い車は運転し辛いと感じるそうです。

そのため、着座位置の高いワンボックスやSUVに人気が移っているのではないでしょうか?
このようにセダンにとって逆風が吹いている今日ですが、2017年の秋にホンダがシビックセダンの国内販売を再開します。
セダンがこのまま生き残るのか、それとも衰退していくのか、国内でのビッグネームの復活が吉と出るのか凶とでるのか見守って生きたいと思います。

ドイツ生まれのかわいい愛車はやっぱり手がかかる

ずっとフォルクスワーゲンの車が大好きで、ヴィンテージビートルからニュービートル、ザ・ビートル、ゴルフと立て続けに乗ってきましたが、やっぱり日本車に比べて圧倒的に故障することが多いですね。
それを踏まえて購入しているのですが、その状況に出くわすとなかなかショックなものです。

一番最初に購入したヴィンテージビートルは、もちろんクーラーも付いていませんし乗れば何かのアトラクションに乗っているような気分でした。
古いイコール壊れると思っていたのですが、案外これは平気でした。作りが単純だからでしょうか。
古くてもまだまだパーツは購入できますし、あまり手のかからないお利口さんでした。

次に購入したのがニュービートルで、ビートルが初めて現代の車に進化したモデルです。形はかわいいしカラーバリエーションも豊富で大人気の車でしたが、これはなかなかの困ったちゃんでした。

まず、新車で購入して数ヶ月で電気系統がだめでパネルに一切文字表示が出なくなり、基板全部交換となりしばらく入院となりました。
外車とはこのような物なんだな・・・と涙しましたが、デザインを買うのが外車なんだろうと思いあきらめました。

それから3年程度たち、今度はウインドウが開いたまま動かなくなりました。3年間の保証が切れたとたん、こんな目に合い呆然としました。
部品や修理代も日本車の倍近いと思います。そしてもう片方の窓もその2年後に壊れてしまい閉まらなくなりました。
モーターが壊れてしまったとのことでやはり電気系とはすこぶるだめでした。

手がかかり大変な思いをしても、また次も同じ兄弟を買ってしまうんですよね。不思議なものです。
外車を乗り続ける人はデザインも走りも故障も、好きで好きで好きな人なんだと思います。
最近では下記のような外車整備の口コミサイトもあって、何かと参考になりますね。

http://gaisyaseibi.com/cate_car/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C/

病院で娘を待つ

うちの近所にある、私のかかりつけ病院は携帯電話で診療予約ができます。予約しておいて、順番の5番前になったらメールが来る、というシステムです。最近はそういうところが多いみたいで、病院での待ち時間が減らせるので助かります。

それで、午後1時過ぎに予約を入れると15人待ちくらいでした。ちょうど娘が帰ってくる時間になっちゃうかな、と思っていたら、メールが来たのは2時過ぎでした。娘は3時前には帰ってきます。まさに診療中かな、と思って家を出る時、玄関ドアに手紙を貼り付けていきました。病院においで、というメモです。病院の入り口からうちのほうが見えるので、ずっとそちらを見ていたら、私の診察が終わった直後、娘が帰ってきたので無事に呼び止めることができました。

玄関でメモをみてくるのもいいけれど、その前に見つけてあげられたほうが娘も心配にならないと思ったので、何とか見つけられてよかったです。

 

スーパー銭湯 熊野の郷

小学生のころ、父がなぜかわからないのですが、お気に入りの銭湯ができてしまいました。
私も別にお風呂は嫌いではなかったのですが、わざわざ銭湯に行かなくても家で入ればいいじゃんとおもっていました。
しかし、父はハマりだすとずっとそれを続ける人だったので、いつの間にか毎週日曜日の夕方は実家の近所にある銭湯に家族5人で通っていました。

私は母と2人で女湯に入り、弟達2人はまだ幼稚園だったのですが、父と3人で男湯に入っていました。
いつも必ず男チームが早くて、「おなかすいたんだけど」なんて言っています。
だったら、家でお風呂に入ってお母さんのご飯を食べればいいじゃないかなんて思っていたのですが、どうやら、父は銭湯の上にある食堂で1杯やりたかったみたいです。
もちろん家族で行くわけですから、お酒だけに終わらずご飯も頼んで、結局銭湯に行くだけで数千円、ほぼ毎回使っていたのです。
元々坊ちゃんタイプの父なのでお金には無頓着なのですが、私はかなりお金にはシビアな子供だったので、「お金がもったいないな」なんて思っていました。

そんな銭湯通いも1年もしないで理由は分かりませんが終わりました。
きっと1番ホッとしていたのは母だと思います。
お金も浮くし、翌日には仕事もあるという時にこんな事をしていられないと思っていたでしょうから。
私も大好きなアニメがやっている時間に家に入れるようになって良かったなと思っていました。

銭湯通いも終わり、銭湯については何も考えなくなっていたのですが、つい先日実家に行った時、そういえば銭湯があったなと思って、その近くを通ってみてみると、その銭湯はなくなっていました。

もう20年くらいたっているかそれもそうかと思いましたが、どんどん新しくなっている実家の周りを見るたびになんだか切なくなってしまいます。
どんどんこの銭湯のように私が小さい頃の思い出が実家の周りから消えてしまっていますが、次は一体何がなくなるのでしょう。
一昔前は健康ランドブームで最近はスーパー銭湯が人気のようですね。
自宅の近くの熊野の郷というスーパー銭湯も大変な人気のようで、週末などはいっぱいのようです。

熊野の郷

逃げ恥で結婚へ憧れ、カルテットで結婚の現実を見せられる

最近のTBSドラマはとっても面白いです。とくに、火曜22時の枠はハズレなしですね。
前期の「逃げるは恥だが役に立つ」がとても面白かったのでロスに陥っていたのですが、カルテットはそれを超えていきました。

逃げ恥は恋愛結婚がメインの話で、主人公二人のラブラブな恋愛「結婚っていいな」っていうお話だったのに対し。
カルテットは、結婚した後の夫婦の話を中心に「結婚したら恋愛が終わった」っていう問題を語り掛けていて考えさせられます。
「結婚に置ける理想と現実は違う」というのを、TBSは同じ時間に続けざまのドラマで当ててくるなんて凄いです。

たしかに、結婚して3年くらい経つと「パートナーに恋愛感情は無くなった。」って言うのを聞きます。
逃げ恥での結婚に対するワクワク感・ドキドキ感・ラブラブ感を見せ付けておいて、カルテットで妄想打破!
みくりも平匡も結婚して3年経ったらきっと、こういう風になるんだろうなって思ってます。

恋愛と結婚は違いますね。難しいですね。
お互いの意識の違い、仕事や年齢の変化、子どもが生まれたら、住む場所、、、もともと他人の夫婦が一緒に生活してれば問題も起こって来ますよね。
やたらとリアルを見せてきますね、カルテットは。結婚するのが怖くなってきました。別に結婚しなくてもいいと思えてきました。
逃げ恥もカルテットも話にリアリティーがあって、今の世間の常識で話しが作られている事が本当に凄いと思います。
フジテレビの月9みたいに時代遅れのツマラないドラマじゃないから、親近感を感じて、友達の私生活を除いているような感覚がするんです。
私たちが言いたかった事・見て来た事・伝えたかった事をドラマ化しているような感覚で、共感しています。
社会はドラマというか、ドキュメンタリーっていうか、それくらいに身近に感じる物語です。
恋愛ドラマはもう時代がちょっと違って、能天気でモテモテの主人公は見ていて寒気がします。
女性も強く仕事をしながら妻・母をするドラマがこれからはトレンドでしょうね。

債務整理というのは再生の為の救済方法のことを言います

債務整理という言葉だけを見聞きすると、とてもネガティブな印象を受けてしまうものだと思います。
そもそも日常生活において債務という言葉を使う事がありませんよね。
一般的には債務というのは法律用語ですから、馴染みの少ない言葉です。
この債務という馴染みの無い言葉に、整理という言葉が繋がった債務整理というのは、これも一般的にはわかりにくい言葉と言える事ができます。

簡単に言うと、借金の消しこみとでも言いましょうか。
図らずも背負う事になった借金を支払う事ができなくなった方が、その借金の返済を免除してもらう手続きの事を言います。
そもそも借金が無い方には何の縁も無い言葉ですが、借金を背負ってその支払いが重荷に感じている方にとっては微妙な言葉だと思います。
債務整理にはいくつかの手法がありますが、任意整理と破産という手続きが一般的です。
両者共に、借金の返済金額を一部もしくは全額免除してもらう為の手続きですが、大きな違いがあります。

根本的な違いは、裁判所の関与が有るか無いかという違いです。
任意整理は裁判所が関与しない手続きで、破産は必ず裁判所に判断してもらう手続きです。
この事実を知ると、自らの借金の清算についてですから、公的な機関である裁判所を通す手続きなどしたくないと考えるかもしれませんが、結果に大きな違いを生じます。

裁判所に判断してもらう破産手続きは、正当な理由があれば借金を全額免除してもらえるからです。
一方任意整理の場合は、自らがお願をして借金の減額を債権者に依頼する手続きなので、極めて困難で全額免除も期待できません。
借金の返済ができない状態になりそうな場合は、破産手続きをすることをお勧め致します。
そうすることで、債権者からの取り立てが一種にしてなくなり、時間とお金はかかりますが、借金を全額免除できる可能性が高いからです。
破産には、弁護士さんのもしくは司法書士の関与が必要になります。
両者のどちらかを通じて、裁判所に破産の申し立てを行い、審査を経て裁判所から破産の申し立てをしてもらいます。
すると今までの借金が基本的には全額免除されます。

しかしながらデメリットもあります。
先ずは一定額のお金がかかるということです。

弁護士もしくは司法書士さんの費用と、裁判所に払う予納金が必要になります。又、クレジットカードが一定期間利用できなくなります。
破産宣告されると官報に名前が載ります。
この三点がデメリットですが、それ以上にメリットの方が上回ります。
今までの借金が全額免除になるからです。

そのためには、借金をすることになった経緯に正当性が必要です。
ギャンブルや投機の失敗、自堕落な生活の果ての借金などは認められません。
一生懸命仕事をして働いたのに、借金をせざるを得ず、返済が滞ったという真面目な生活をしたのに返済ができない苦境に陥ったという事が前提です。
破産宣告というと、債務整理以上にネガティブな印象を受けるかもしれませんが、これは国が認めた法的な救済方法ですから、一概にネガティブになる必要はありません。
これは国民が等しく受ける事ができる法的な制度なのです。
借金の返済が危ぶまれている方は、是非一度弁護士さんか司法書士さんにご相談することをお勧め致します。
債務整理というのはこういう一連の救済方法のことを言うのです。

年金について、もっと考えるべきです

年金の支給率を下げるそうですが、これ頭に来ませんか?
どうしてこんなことができるのでしょう。
そして、高齢者としての年齢も引き上げるとかなんとか言ってますよね。
ちょっと待って下さい。
年金の支給率を下げて、年金の支給開始年齢を上げるって事でしょう。
その前にやることたくさんあるのに、おかしいですよ。
議員削減もそうだし、そうそう公務員のお給料、確か上がりましたよね。
何でですか?

それにね、消えた年金問題あるじゃないですか!
あれはどうなりましたか。解決してませんよ。
今はそのことについて誰も何もやってないんじゃないですか。
それとも私の知らないところで、一生懸命、問題解決のために動いてくれている政治家がいるんでしょうか。
私は自分の生活について、すごい不安です。

今も金銭的には苦しいのですが、でもそれなりに生活は出来てます。
ただ、年金に関してはパートなので国民年金のみ。
厚生年金に入りたいから、いろいろと仕事を探してますがこの年齢だとなかなかありません。
普通の主婦をしていた私が、いきなり母子家庭になってしまった場合、それも年齢的にも若くないなら、なおさら仕事の幅が狭まります。
それでも、国民年金を払ってますが、満額払っても生活出来ないくらいの支給額ですよ。
年金は以前は素晴らしい制度だったと思います。

でも今はどうでしょう。
国民の年金を自由に使っていたのは、その年金を扱っていた社会保険庁だったはずですが、その責任は日本年金機構に変わったからって消えません。
徹底的に究明をしてほしいし、責任の所在は明確にするべきです。
その為にも、しっかりとかじ取りをしてくれる代表者が出て来てくれることを強く望みます。
責任逃れをしている当時の人たちを、引っ張り出して真相解明をしてほしいと思います。
今の若い人たちが、将来、苦しい生活を送らないですむように考えてあげて下さい。
政治家や公務員の給料を少し減らして下さい。
もう少しだけで良いですから、公平な社会になることを願います。

引っ越しばかりの人生

思い起こせば人生初めての引っ越しは小学校4年生の時でした。
父親の仕事の都合で熊本のど田舎から福岡に引っ越して来たのが引っ越し人生の始まりです。
その後狭い平屋から近くの二階建ての家に引っ越し。

この家から私は嫁ぎました。
結婚して最初に住んだのは2DKの古いアパート。
ここで二人の子供が生まれ 親子四人生活していました。
この狭いアパート時代に夫が大きな仏壇を購入しました。
小さなアパートには不釣り合いな大きさの仏壇。夫はこれで死ぬまで家には困らないからと言って嬉しそうに笑っていました。

それから何年かして、夫に転職のお誘いがあり、その条件として新築一戸建ての家に住む事。
場所は海の近くの田舎町でしたが、夫と相談し引っ越しする事にしました。
結婚して初めての引っ越しです。

自然に恵まれ、海に歩いて行けるという環境で子供達はのびのび育ちました。
しかし、夫の仕事への不満が募り、会社を辞めると同時に引っ越ししなければならなくなりました。
そこで、私の両親の近くに住んであげたいという私の願いを夫が聞いてくれて私の地元に戻りました。
引っ越ししてしばらくして父が病院で入院。
近くに住んでいたお陰で、看病にも毎日行く事が出来ました。
父親が亡くなり、一人になった母親と同居するためにまた近くの広い家に引っ越し。
これが最後の引っ越しかと思っていましたが 大家さんの事情でまた引っ越し。
それから、母親の病院、私達夫婦の離婚、娘の離婚等あって二回引っ越ししました。
どれだけ引っ越ししたのか自分でも分からなくなるくらいです。
そして現在、再婚した娘夫婦が購入した新築一戸建てに一緒に住んでいます。
そして新婚の時に夫が購入した仏壇は、大きくて一番移動が大変でしたが、今でも我が家にあります。
この仏壇だけは、どんな家に引っ越す時も手離せませんでした。
今は亡き夫が言っていた 家には困らないからなって言葉は本当でした。
決して裕福な生活ではないのに 不思議と家には恵まれてきました。
きっとこの家で私の引っ越し人生は終わりだと思います。
しかし、私は引っ越しでどれくらいのお金を使ったのだろう?
考えただけで恐ろしくなります。
本当に引っ越しはもうこりごりです。

なんと、買い物したはずのものがない?

母と買物に出かけたときの話です。その日は、11月でしたが丁度雪が降る可能性があるとニュースや天気予報でやっていたのを見て、「お母さん灯油や買い物して置いた方がいいよね?」と母に言ったときの出来事です。なにしろ私は、チェーンを付ける等苦手で(というよりほとんど付けたことが有りません)雪が積もった時に動けなくなるので大変だと思ったからです。
母は、「11月なのにまた天気予報はずれじゃない?」と言われましたが万が一を考えて出かけることにしました。灯油もほとんど残っていないし冷蔵庫も空だったためです。

ついでに、少なかったガソリンを補充したりしていたのですが、みんな考えることは同じこと明日雪がふるということから結構人が来ているので沢山人も並んでいます。やっぱり今日の内に準備したのは正解だったなと感じました。

さて、そんなこんなで必要な物を用意していつものスーパーに行ったのはもう夕方ごろでしたか、冷え込みもありさっさと買物をして帰ろうと急いでいました。
やはりスーパーも、いつもより混んでいます。2つの駕籠をいっぱいにしてレジに並んで1つ、2つと精算済みの駕籠を渡すそして会計をすると結構いつもよりお金がかかったなと内心思っていたのですが、エコバックに母が詰めたものがいつもと同じようにピッチリ入っていたので、「さすがお母さん、ずいぶんきれいに入れられるんだな」と感心しました。この時は、後であんなにあたふたするとは思わないで…帰って、冷蔵庫に詰め終わったころに母がジャガイモが無いと言い始めました。そして玉ねぎもないあれこれ言うので、またスーパーに逆もどりして店員さんに聞いてみたんですが、ないと言われました。兎に角釈然としませんしあきらめられなくレシートと買物した詳細に商品を比べたら、あれが無いこれが無いとなって大慌てです。

さすがに、駕籠1つだとすぐあきらめられないしまた買うのもしゃくなので店にもう一度電話して見たら、どうやら駕籠1つ冷蔵庫に置いてくれているそうです。
しかしながら、あの戻った時駕籠はなかったし店員も置いていないと言ったはず、ちょっと?になりながら、あってよかったと思いました。
まあ、結局どういう事かはわかりませんが、1つ原因として2つの駕籠を精算してもらったときに母に2つ駕籠を渡したときにもう1つあるのに気が付かなかったということですね。
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フランスの伝統工芸品カルトナージュとは

カルトナージュとは古代フランスで紅茶を入れるために生み出された厚紙でできた箱のことを言います。今ではヨーロッパの伝統工芸品になりました。1800年当時、床屋を営んでいた方が、カイコなどの繊細な物を高品質のまましまっておくために生み出されました。厚紙でできた箱に布などを切って貼って、綺麗に仕上がった保存箱のようなものです。

まず、ベースとなる厚紙は作る箱の大きさによって、1mm、2mm、3mmと厚さを変えます。次に、その厚紙にケント紙を貼り付けます。これはこの次に貼る布の裏打ちに使用するものです。フランスではボンドを使用するのに対して、日本ではでんぷんで作られたノリを使用するのが特徴です。接着面の補強などにクラフトテープを貼ります。
これはボンドやでんぷん糊を染み込ませて使用します。染み込ませて貼り付けることで、より強度を増すことができますし、いらないところは手でちぎってカットできる便利さを持っています。また、金属やタッセルと呼ばれるパーツをくっつける時にも使用されます。伝統的な道具として、先が細くなっているヘラを使用します。これはデコレーションが混み合ってきた時に、そのデコレーションを気づつけることなく根元までしっかりと届くように長年の年月をかけて編み出された道具です。この道具を使いカルトナージュは作成されていきます。材料を切るのはフランス製カッターやロータリーカッターを使用します。フランス製カッターは肢の部分が特徴的で、握りやすい作りになっているのが特徴です。ロータリーカッターは普通のカッターの刃は引いて地面との摩擦を利用して切るのに対して、ロータリーカッターはカッターの刃が回り布など通常のカッターの刃で引っ張って切るのでは生地が伸びてうまく切れない時に使用されます。